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医療福祉従事者応援用特設ページ

ありがとうの花束

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ありがとうの花束とは?

「日本仏教看護・ビハーラ学会では、この度の新型コロナウィルス禍において、医療福祉の最前線で命がけで働かれている皆さんを応援するページ「ありがとうの花束」をはじめました。 当学会の軸となる「いのち」に関連する諸問題に、いま、多くの医療福祉従事者が直面しています。そこで、仏教の視点から、領域を超えて、応援メッセージなどを発信し続けます。 コメントなどを掲示板 (フォーラム) に書き込んでいただければ幸いです。」

第1話

ありがとうの花束

若麻績敏隆/善光寺白蓮坊住職/日本仏教看護・ビハーラ学会会長

「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸いであれ。何人も他人を欺いてはならない。

たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。」

『スッタニパータ』より(『ブッダのことば』中村元訳 岩波文庫)

今まさに、新型コロナウィルスの猛威が襲いかかっている日本の医療福祉の現場で、日々命がけで働いておられる皆さんに、真っ先に届けたいことばとして思いあたったのは、本学会が発足当時から掲げてきた、生きとし生けるものの幸いを願う、釈尊(お釈迦さま)のことばです。

 今回の新型コロナウィルス禍を、私たちはしばしば戦争ということばで表現します。過去にも人類を襲ってきた様々な病魔に対して、人類はその都度、それに対応する武器(薬や技術)を開発することによって克服してきました。

 

今回も、医学の最前線では、ワクチンや薬の研究開発が急ピッチで行われています。しかし、不意に襲ってきた最強の敵を前に、今、現に医療や福祉の現場で戦う皆さんは、最低限の防御の態勢さえ整わない状態で、いつ終わるとも知れない過酷な戦いを続けておられます。

このような状況下で、このウィルスとの戦いは、残念なことに、人間同士の差別や分断さえも生んでいます。ウィルスに感染した方やそのご家族、今まさにいのちを守る懸命な努力をされている医療福祉従事者の皆さんやそのご家族、さらに様々な現場で私たちの日常の生活を支えて下さっている方々や社会的マイノリティの方々にまで、様々な形で理不尽な差別がふりかかっている現実に、私たちは深い怒りと悲しみを覚えます。

しかしながら、私たちは、この禍いを乗り越えるのに最も大切なものは、怒りや差別のこころではなく、釈尊のことばにあるような、全ての生きとし生けるもののいのちを尊び、幸せを願うこころ、つまり平等な愛と慈悲のこころであると信じます。

 

たとえ、一時の怒りを覚えたとしても、その怒りは、慈悲に裏付けられたものでなくてはなりません。大局的に見れば、愛と慈悲こそが、この困難にうち勝つための私たちの真の武器です。

 

思えば、計り知れない恐怖の中で、医療福祉従事者の皆さんをこのウィルスに立ち向かわせているのも、そのお一人お一人のなかの愛と慈悲のこころに他なりません。

この度、私たちは、医療福祉従事者の皆さんに、少しでも感謝の念を伝えるために、私たち一人一人がこころに抱いている思いをそれぞれの「ありがとうの花束」としてお届けすることといたしました。

過酷な戦いの中で、苦境に苛まれた時、悲しみに打ちひしがれたとき、疲労困憊して立ち上がれないとき、どうか、このページを開いて私たちのこころの花束を受け取っていただき、一時の安らぎを得ていただければ幸いです。

 

この新型コロナウィルス禍が一日も早く収束すること、そして皆様すべてに幸いが訪れますことをこころより願ってこのページを開設いたします。

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第2話 

保健医療従事者の「菩薩行」に敬意と感謝  
佐藤雅彦

 

まずは手のひらを合わせて

ここに手のひらを合わせて、新型コロナ感染症によって「いま、苦しみの中にある全ての方々」の平安をお祈りします。そしてこの病気のために亡くなられた方々とそのご家族のために、こころ安らかでとお祈りさせていただきます。

私は、いのちのことを専門的に学ぶ仏教者(僧侶)の一人として、わが身をも危険の中において、日夜、患者さんたちへの治療に当たられている保健医療従事者の皆さんにエールを送りたいと思います。

 

 

耐え忍ばなければならない社会

コンビニエンスに慣れきった現代社会を生きる私たちが、初めて遭遇するこの新型コロナ感染症は、何でこんな苦しい目に会わなければならないのだろうと、みな胸を痛めながら過ごしておいででしょう。

 

実は、仏教を開かれたお釈迦様は「この世の中は、苦しみに満ち溢れている」と言い切られました。そのことをインドの言葉で「シャバ(娑婆)」といいました。苦しみの中で思うようにはならない世界を娑婆と呼び、漢字に翻訳したお経に「忍土」と表現し、耐え忍ばなければならない世界を指し示したのです。

 

しかしながら私たち現代人は、便利で当たり前という妄想にとらわれ、さまざまな苦しみを複合的に引き起こしています。誹謗、中傷、差別などがその表れです。

そしてこの苦しみの只中にいる私たちに、一筋の救いを与えてくれているのは、医療福祉従事者の皆さん達の献身です。

ちゃんと見ていてくださる

 私たち日本人の多くは「誰も見ていなくても、仏さまは見ていてくれる」と見えない存在のはたらきを信じて生きてきました。仏さまの概念は、その人によってさまざまな受けとめ方があるので、今は難しいことは申し上げません。その人によってイメージが違っても、「仏さまはちゃんと見ていてくれる」というイメージや希望を持っている人は少なくはないのではないでしょうか。

ある人には先立った親や知人であり、ある人には、初めて看取った患者さんであり、観音さまやお地蔵さまという人もいるでしょう。仏さまは、いま、献身的にわが身の危険を感じながらも、日夜、病む人々のために従事する皆さん、医療福祉従事者、そしてそれを支える人々のことを必ず見ていてくれる、守っていてくれると信じ願いたいと思います。

「菩薩行」の実践に感謝

わが身をけずり、犠牲にしても、誰かのために尽くす行為を積み重ねる人のことを「菩薩」と呼びます。あの観音さまやお地蔵さまと同じ菩薩さまです。またその人の実践や行為のことを「菩薩行(ぼさつぎょう)」といいます。そのはたらきを讃える言葉に次のような歌があります。

「ろうそくは わが身けずって まわりを照らす」

ろうそくは、そのともし火で、わが身がとけて削れ、なくなろうとも周囲を照らすというこの故事は、灯りに照らされた人、闇夜に光明を感じた人にとっては、ろうそくのともし火こそかけがえのない生きる光であったに違いありません。

 

患者さんのことを知っているから関わるのではなく、いま「いのち」をもつ人が目の前で苦しんでいるからこそ、自らの危険も知りつつ、大切に全力で支え、治し、寄り添おうとしている、その行いは自分や他人という境界を越えた、立派な菩薩行の実践をなさっています。

 

私たちは心からの敬意を払い、感謝の心を差し向けたいと思うのです。

もちろん最善を尽くされても、想定外の変化に、終わりをむかえる患者さんもおられることでしょう。

 

その時の医療福祉従事者の皆さんの落胆は、はかり知れないものがあることでしょう。それでもあなた方の奉仕の心は、ちゃんと届いていますよ。直接には見えない、聞こえないけれど、きっと関わってくれた皆さんに感謝の心を届け、報いのお守りをいただけることと信じたいと思います。

事態は、先のなかなか見えないトンネルの中にいるような状況です。まだしばらくは、皆で辛抱をしていかなければならないことでしょう。

 

しかし私たちは智慧の力を合わせていくことで、この苦境の暗闇の中を、力強いともし火で光を与えてくれている医療福祉従事者はじめ、皆さんの灯りを頼りとして、光の見える出口に向かって、進んでまいりましょう。

最後に、私のお寺の表通りに掲げた掲示板を紹介して、医療福祉従事者はじめ、苦しみの中にある人々へのエールとさせていただきます。

​合掌

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第3話

セルフケアの瞑想法

飛騨千光寺住職 大下大圓

いまコロナウイルスの関連で、お疲れのあなたに「セルフケアの瞑想法」をご案内します。すでにいろいろなストレス緩和の方法を知っておられることと思いますが、その中でも瞑想は、場所、時間を問わず、いつでも静かな自分との対話で成立します。

特に医療や介護での厳しい現場にいる方、テレワークで自宅にこもっている方、すべての方のこころの安寧を祈って、この瞑想法をお伝えします。

一日の終わりに、あるいは休憩時間に、楽な姿勢で少し目を閉じて、気持ちよく呼吸をすることから始めてください。

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第4話

『共感の鐘』
若麻績 敏隆

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長野市の善光寺では、5月8日から31日までの間、毎日午後5時から、新型コロナウィルス禍に立ち向かう皆さんすべてに向けられた『共感の鐘』が撞かれています。
この鐘は五回撞かれますが、ここには市民の皆さんから寄せられた五つの願い、

 

 

① 新型コロナウィルスの最前線に立つあなたへの感謝とエールを。
② コロナで闘病中の患者・感染者とその家族にお見舞いと連帯を。
③ コロナで亡くなられたすべての方への追悼を。
④ 不安やストレスが膨らむ心に安らぎとやさしさを。
⑤ 気が緩む自分を律するために「ステイホーム」を忘れない。
が込められています。

 


新型コロナウィルスの不安が蔓延し、多くの方が自宅待機を余儀なくされる中で、医療福祉従事者の皆さんやそのご家族、社会を支えてくださっている様々な職場で働く皆さんやそのご家族、あるいはこのウィルスに罹患された皆さんやそのご家族に対する偏見や差別が頻繁に起こっています。
 


私たち人間には、どんな人であろうとも、残念ながら、このような、他者を排斥し攻撃する心が潜んでいます。今回の禍いに起因する様々な不安は、私たちの心に潜むそのようなネガティブな感情を一気に噴出させているようです。
 


しかし、一方で、私たち人間には、誰にも、他者をいたわる心、共感する心もまた存在しています。いつの時にも、この心こそが私たちを真の幸せに導く原動力となります。日本中の、世界中の人々が、今この時代に、共にこの禍いの中にいる者として、様々なお立場におられる方への共感の思いによってつながることこそ、私たちに求められていることといえましょう。
 


この『共感の鐘』の音が、すべての方々の思いを乗せて、それぞれのお立場におられる皆様お一人お一人の心へと届きますよう、切に願っております。この期間中の日曜日には、北海道から九州までの、善光寺にご縁のある三十を超える御寺院でもこの『共感の鐘』が撞かれます。 

第5話

『あいまいな喪失』
対談
新潟県立がんセンター内科部長 今井洋介

長野善光寺白蓮坊住職 若麻績敏隆

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新潟県立がんセンター内科部長の今井洋介さんと、当学会会長、長野善光寺白蓮坊住職の若麻績敏隆さんお2人による対談から“あいまいな喪失”について、仏教的視座をもちいて心の拠り所となるような考え方をお届けします。

仏教では、この世で出会った者は必ず別れる定めである「会者定離(えしゃじょうり)」という教えがあります。
法然上人は「露の身は ここかしこにて 消えぬとも こころは同じ 花のうてなぞ」というお歌を用いて、大切な方との心と心の繫がりや幸せな関係性は、どちらかが亡くなっても、お互いが亡くなっても、変わらず続くのだと教えて下さっています。

大切な方が亡くなったときには、その方が、美しい蓮の花の上や美しいお花畑の中で、微笑んでいる姿を思い浮かべたり、その方との楽しかった記憶を思い出してみてください。その方とあなたの心は今も繋がり、あなたを見守ってくださっています。仏教では、「必ずまた会える」ことを私達に教えてくれています。

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